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松山地方裁判所 昭和60年(ワ)610号 判決

主文

一  別紙物件目録記載の土地が松山市道新玉四七号線(旧新玉二八六―一号線)の敷地であることを確認する。

二  被告は原告に対し、右土地上の建物(プレハブ)、バリケード、その他通行の妨害となる一切の物件を撤去して、右土地を明け渡せ。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  被告の請求を棄却する。

五  訴訟費用中、第二事件に関し生じた分は全部被告の負担とし、その余はこれを三分して、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。

六  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(第一事件)

一  請求の趣旨

1 主文第一、二項と同旨

2 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地につき、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 土地明渡等の請求(主文第二項同旨)につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(第二事件)

一  請求の趣旨

1 原告は被告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第四項と同旨

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(第一事件)

一  請求原因

1 別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、元訴外久松定武の所有であったが、原告は、同土地を松山市道敷地とすべく、昭和三〇年三月一日同訴外人から代金三四万一二八〇円で買い受けた。同代金は、同年四月三〇日支払済である。

2 右売買が認められないとしても、

(一) 原告は、本件土地を昭和三〇年四月三〇日以降継続して占有しているので、二〇年後の昭和五〇年四月三〇日の経過をもって、同土地の所有権を時効取得した。

(二) 原告は、昭和六一年一月一一日送達の本件訴状でもって、被告に対し右時効を援用する旨、意思表示をなした。

3 原告は、本件土地を、昭和三〇年に失業対策事業により盛土整地して、松山市道として整備し、更に昭和四四年六月二一日から同年七月一〇日までの間に、その両側に側溝を設置して、より整備した。

4 本件土地は、松山市備付の道路台帳に「松山市道新玉二八六―一号線(以下「本件路線」という。)」として登載され、市販の地図にも道路として明示されており、又その現況においても、南北の両側には側溝が設置され、東側に接続して南北に走行する松山市道と全く同様に舗装されて、公道として一般市民の通行の用に供されている。

なお右道路台帳では、本件路線の起点は三番町八丁目三六〇番六、終点は同所三六一番一と表示されているが、道路の起点と終点の表示方法としては、「原則として、起点から終点に向かって左側の地番を用いる。」のが国道と県道の通例であるので、松山市としても、建設省及び県に準じて、右原則に従った表示をしている。

5 原告は、昭和五八年一月五日愛媛県から、「議決年月日、認定公示の不明な路線の取扱」についての通知を受け、これに基づき、本件路線についても、認定公示不明な道路として、同年一月二五日道路法一八条二項の規定に基づく道路供用開始の公示をなした。

6 本件土地は、松山市道として適法に供用開始されていたものであったが、前項により、改めて本件路線として公示された。右公示における右路線の起点と終点の表示方法は、前項の道路台帳上のそれと同じであり、同路線の区域は、「三六〇番六地先から三六一番一地先まで」と表示されている。

なお、右路線名は、昭和六二年三月一四日告示の市道編制により、「新玉四七号線」と変更された。

7 本件土地については、昭和五七年一〇月二七日付で前記久松定武から訴外愛媛産興株式会社に所有権移転登記がなされ、更にその後同五八年二月二五日付で訴外有限会社清和不動産に、同五九年七月一〇日付で訴外愛媛ビジネスセンター有限会社に、同六〇年八月一四日付で被告にと、順次所有権移転登記が経由されている。

8 被告は、本件土地が松山市道であることを争い、昭和六〇年八月二八日同土地上にプレハブ造りの建物二棟、バリケード等を設置して、一般市民の通行の妨害をなしている。

9 よって原告は被告に対し、本件土地につき、その所有権に基づき、真正名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を、道路管理権に基づき、本件土地が松山市道新玉四七号線(旧同二八六―一号線)の敷地であることの確認を、所有権、占有訴権、道路管理権に基づき、同土地上の通行妨害物の撤去及び同土地の明渡を、各求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1中、本件土地が元久松定武の所有であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告が久松から買い受けた土地は、同所三六一・三六三番合併六の土地(承諾書、甲第二号証の一)か若しくは同合併一の土地(同号証の三)であって、本件土地ではない。右承諾書には、「土地代金は、所有権移転登記終了後下渡される」との記載があるが、本件土地については、原告に所有権移転登記がなされてないから、その代金も支払われてないはずであり、もし代金が支払われたとすれば、右合併六の土地につき所有権移転登記がなされているはずである。原告は、本件土地につき、昭和五六年までは久松定武を所有者と認めて、同人から固定資産税を徴していたし、同五八年一月二七日には、当時の所有者愛媛産興株式会社の申請に基づき、同土地が原告の所有でないことを前提として、同土地とその東側に接続する県道との間の境界査定をなしている(乙第二号証)。

2 同2の(一)の事実は否認する。

3 同3の事実は知らない。

4 同4中、松山市備付道路台帳に本件路線が登載されていて、その起点及び終点として原告主張地番が表示されていることは認めるが、本件土地が同路線として登載されているとの点及び同土地が公道として一般市民の通行の用に供されているとの点は否認し、その余の事実は知らない。

右道路台帳に本件土地の地番の表示はなく、起点、終点として表示の土地は、本件土地の南側の、元里道が存在した所である。

本件土地は、客観的にも道路の様相を呈してない。袋地であって、東側で接属する南北に通じる県道から進入するについては、信号も道路表示も無く、四国名鉄運輸株式会社の専用駐車場のごとくに利用されていて、一般市民の通行の用に供されたことはない。前出乙第二号証は、本件土地が道路敷地でないことをも証明するものである。

5 同5の事実は認める。

6 同6中、昭和五八年一月二五日の公示における本件路線の区域の表示が原告主張のとおりであることは認めるが、本件土地が適法に供用開始されていたとの点及び右公示で、本件土地が右路線として公示されたとの点は否認する。

本件土地について、道路法所定の路線認定やその公示がなされたことはない。

7 同7の事実は認める。

8 同8中、被告が原告主張の日同主張建物二棟を設置したことは認め、一般市民の通行を妨害しているとの点は否認する。

被告が設置した物件は、すべて後出仮処分決定の執行により撤去され、本件土地は現状に復している。

三  抗弁

1(一) 本件土地は、久松定武から愛媛産興株式会社に、更にその後の登記簿上の所有名義人らに、順次譲渡され、被告は、昭和五八年八月一四日当時の所有者であった訴外愛媛ビジネスセンター有限会社から、本件土地を買い受けた。

(二) 原告は、登記を経由していないから、その所有権取得をもって被告に対抗できない。

2 原告の本件土地に対する占有は、自主占有ではない。

仮に原告が本件土地を占有していたとしても、それは松山市道として維持管理をしていたに止どまり、敷地に対する所有の意思まで有していたものではない。前述固定資産税や境界査定の件からみても、原告は、本件土地が原告の所有に属しないことを認めていた。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は総て否認する。

五  再抗弁

1 国又は公共団体が道路の敷地を構成する土地につき取得する所有権その他の権原は、公権(公的所有権)であり、これには民法一七七条の適用はない。従って原告は、登記なくして、本件土地の所有権取得を被告に対抗し得る。

2 被告及びその前三者は背信的悪意者であるから、被告は、本件土地についての原告の所有権取得につき、登記の欠缺を主張し得ない。

本件土地は、現況によっても、市販の地図によっても、公道であることは一見して明白である。しかるに愛媛産興株式会社は、本件土地の所有名義が前主久松のままであることを知り、これを奇貨として、不正に利を図る目的でもって、その所有名義を取得し、その後の所有名義人も、各自この情を知って順次所有名義を取得したものであり、民法一七七条所定の第三者に該当しない。

愛媛産興以下被告の前者である愛媛ビジネスセンター有限会社までの本件土地の所有名義人となった会社は、いずれも西原某が実質的経営者か関係する会社であって、右名義変更は同人の画策とみられるが、被告は、昭和五八年二月一日に設立された実体不明の会社であり、右西原から本件土地を買い受けたと称して、公道上にプレハブ建物などを設置し、一般市民の通行を妨害する暴挙に出たものである。

六  再抗弁に対する認否

1 再抗弁1の主張は争う。

2 同2の事実は、被告の設立時期を除き総て否認する。

(第二事件)

一  請求原因

1 被告は、資本金一〇〇〇万円、土木建設及び建築業並びにその請負業務、不動産の売買及び仲介業務等、これらに付帯する一切の業務を目的とする会社である。

2 第一事件の請求原因7及び抗弁1に同じ。

なお、被告の本件土地買受代金は、金一億五〇〇〇万円である。

3 松山地方裁判所は、昭和六〇年一一月二七日、原告が同月六日になした申請に基づき、被告に対し本件土地上の建物等の撤去を命じ、同土地を執行官に保管せしめた上、これを原告が市道としての使用に供することができるとした仮の地位を定める仮処分(断行の仮処分)の決定をなし、この仮処分決定は、同年一二月五日執行された。

4 原告は、右仮処分の申請において、本件土地は原告の所有であり、かつ市道敷地であると主張した。

5 しかしながら、本件土地は、被告の所有であって、原告の所有ではないし、又市道敷地でもない。

この事実は、原告において、その保存する過去の資料を調査すれば、容易に判明したことであり、原告には、この調査を怠って本件仮処分の申請をなした点において過失がある。

6 被告は、原告の本件不法行為により、次の損害を被った。

(一) 本件土地購入のための投下資本が利用できないことによる損害

金六七五〇万円

被告は、一億五〇〇〇万円を投下して本件土地を購入したが、本件仮処分の執行により同土地を収奪されて、本訴第一事件で勝訴判決を得るまで、本件土地を使用できなくなった。それまでの間少なくとも三年間は、右投下資金が凍結されることになるが、これを他に貸与すれば、利息制限法所定限度内でも年一割五分の利息を得ることができ、三年間では六七五〇万円の利益が得られる。

(二) 本件土地上に建設予定であったビルによる営業活動の収益減

金七六一〇万円

被告は、本件土地上に四階建の賃貸用自社ビルを建設し、その一階全室に被告の会社機能を集中管理するための総合事務センターを設置し、二階から四階までは賃貸用店舗等として利用する計画であったが、本件仮処分の執行により、右ビルの建設は延期を余儀なくされ、そのため被告は、会社機能の充実が遅れることになり、少なくとも年間金二〇〇〇万円の会社利益が得られず、又年間金八七〇万円の賃料収入が得られなくなる。この損害も、被告が第一事件で勝訴判決を得るまで、少なくとも三年間は継続すると考えられる。

(三) 信用失墜による精神的損害

金五〇〇〇万円

被告は、成立したばかりの会社であり、これからという時期に本件仮処分がなされ、これが新聞、テレビ等で報道されたことによって、又本件仮処分の申請者が松山市という地方公共団体であったこともあって、不当な誤解を受け、協力者の殆どを失うなど企業生命が危機に頻する状態に追い詰められている。このために被告が被った損害は、金五〇〇〇万円を下らない。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は知らない。

2 同2中、第一事件の請求原因7に相当する事実は認めるが、その余の事実は知らない。

3 同3、4の事実は認める。

4 同5、6の事実は否認する。

第三  証拠(省略)

理由

第一  第一事件について

一  請求原因1中、本件土地が元訴外久松定武の所有であったことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一〇号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので、真正な公文書と推定すべき甲第二号証の二、三、同第九号証(原本の存在成立とも)、証人黒田積の証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第二号証の一、同第三号証、同第一一号証の一、二、同証人の証言、弁論の全趣旨を総合すると、請求原因1中のその余の事実が認められる。

二  確かに右甲第二号証の一(久松定武作成名義の昭和三〇年三月一日付松山市長宛承諾書)には、原告が久松定武から代金三四万一二八〇円で買い上げる土地として、「松山市幸町(表示変更後の同市三番町八丁目)三六一・三六三合併六、田四畝六・四歩」なる記載がある。しかし前掲証拠によると本件土地は、元久松定武の所有であった同所三六一・三六三番合併一、田九畝六歩(以下同番合併の土地は、元番の数字を省略)の一部であったもので、原告は、右合併一の土地の内四畝六・四歩を松山市道の敷地とするために、右久松定武から買い上げることとして、これに合併六の支番を付して、昭和三〇年三月一日同人からこれについての買上の承諾書を徴し、同年四月三〇日までにその代金三四万一二八〇円を完済して、その頃右合併一の土地の内四畝六・四歩を右金額で買収して潰地(辞典によると、田畑で、生産力を全く失い、地租を免ずる土地を意味する。)にした旨の潰地調書(同第二号証の三)を作成したこと、本件土地の現地は、同年五月一三日に右合併一の土地から分筆されて、土地台帳には合併の七、田四畝六歩と、登記簿の表題部には同七、田四畝三歩と、それぞれ登載され、同年中に松山市の同年度の失業対策事業により、道路として整地されたこと、合併一の土地は、元々は合併一、田四反一八歩であったが、大正時代に同二ないし四、計一反三畝三歩が順次分筆の上鉄道省に買収され、更に昭和三〇年二月に同五、一反八畝九歩が分筆の上日本国有鉄道に買収され、残地九畝六歩となっていたものであり、更に同七が分筆された後、同八、二畝一五歩が分筆されたので、残地は二畝一五歩となったが、これは本件土地が土地台帳上の表示どおり四畝六歩として計算されているからであり(登記簿上の表示に従い四畝三歩として計算すると、残地は二畝一八歩となる筈)、いずれにしても合併六という土地は存在しないこと、本件土地については、右分筆により登記簿用紙の表題部は起こされたが、甲区欄は未記入のままで、昭和三七年二月になって、久松定武の昭和一八年の家督相続による所有権取得の登記が分筆前の合併一の土地の登記簿用紙から転写されたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば、原告と久松間で売買され、その証として右甲第二号証の一が作成されたのは、本件土地であったのであり、同土地は、本来右承諾書の表示どおりに合併六、四畝六歩として分筆される筈であったものが、誤って合併七の支番を付されて、しかも地積も四畝三歩として分筆されてしまったものと認められ、これが主たる原因で、本件土地につき原告名義に所有権移転登記がなされぬままとなったのであろうと推測される。なお右旧合併一の土地から分筆された土地の内、二ないし五の土地は、前示のとおり本件土地分筆前に他に譲渡されていたし、その後分筆された八の土地は、昭和四〇年三月に他に譲渡され(後に合筆により後出の同所三六〇番六の土地の一部となり、現出光興産株式会社所有)、同一の残地は、同年五月元の小作人松浦音吉に贈与され(現四国名鉄運輸株式会社所有)、その後は本件土地のみが、登記簿上久松の所有名義のまま残されていた。

成立に争いのない乙第一一号証及び前掲証人の証言によると、原告は、本件土地につき昭和四八年度から同五六年度まで、登記簿上の所有名義人である久松定武から固定資産税を徴していたことが認められる。しかし右証拠に成立に争いのない甲第四六号証、同第四七号証の一ないし三をも総合すると、本件土地は、分筆により登記簿用紙が起こされて後も、昭和四七年までは固定資産課税台帳(土地補充課税台帳)に登録されなかったため、固定資産税の課税対象になってなかったのであるが、原告の固定資産税課で、昭和四七年中に本件土地について登記簿と右台帳とを照合し、右事実を発見したので、同年中に同土地を同台帳に登録して、単純に法定の台帳課税主義に則って翌四八年度から、賦課期日の右登記簿及び台帳上の所有名義人であった久松を納税義務者として同税を賦課し始め、本件土地は、その頃には既に道路維持課で、後述のとおり本件路線の敷地として管理していたのであるが、両課間の連絡が不十分であった上、久松の側で何等の申出もなさず納税に応じていたため、昭和五六年まで右課税が継続されたこと、しかし道路維持課で同年中に調査した結果、前示買収の事実等が判明し、その旨同課から固定資産税課に連絡がなされ、同課でも事実関係を確認の上で、翌五七年度からは非課税扱いとしたことが認められる。

添付図面を除く部分については成立に争いがなく、同図面も前掲証人の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証によると、原告は、昭和五八年一月二七日付で本件土地につき、「道路敷境界線を侵害していない。」との証明書を出していることが認められる。しかしながら、右書証の内容に成立に争いのない甲第四四号証の一ないし八、前掲証人及び証人倉沢善男の各証言を総合すると、右証明書は、同年一月一四日から同二二日にかけて、本件土地の当時の所有名義人であった愛媛産興株式会社から官民境界査定のためと理由を明記して、本件土地とその東西両隣市道敷地(東側は後出松山駅前竹原線、西側は本件路線中の後出狭路部分で、その敷地は前出合併五の土地から分筆された三六一番八の土地で、建設省所有)との間の道路境界査定の申請を受けた原告の道路維持課において、前示本件土地買収の経緯を知らなかった当時の課長が、部下に命じて市長名で発行させたものであり、同課長は、同課で管理する道路台帳により、本件土地が本件路線の敷地を構成していることを確認していたが、当時の処理慣行に従い申請者提出の本件土地の登記簿謄本で形式的にその所有名義人を確認したのみで、道路の管理権はその敷地に対する所有権とは別途に成立するとの単純な理解から、本件土地の所有権(俗に底地の所有権)は私人に属すると判断し、その実質的所有関係を詮索することなく、本件土地と右東西両側市道敷地との境界の査定をし、その結果を通常の道路沿いの私有地についての官民境界査定書の書式で証明したものであることが認められる。右書面は、本件土地が私有地であるとの判断に立脚して出されたものではあるが、所有権の帰属自体を証明するものではなく、又添付図面を検討すれば、本件土地が道路敷地でないことを証明するものでないことも明らかである。

以上被告主張の事実をもってしても、前示認定を覆することは出来ず、他に同認定を覆すに足る証拠はない。

三  松山市備付土地台帳に本件路線が登載されていること及び請求原因5の事実並びに右道路台帳では、本件路線の起点は松山市三番町八丁目三六〇番六、終点は同所三六一番一と、右供用開始の告示では、本件路線の区域は、「三六〇番六地先から三六一番一地先まで」と、各表示されていることは、当事者間に争いがなく、原告が本件土地を昭和三〇年中に、松山市道の敷地とするため前主より買い受け、これを失業対策事業により整地して、道路として整備したことは、前示認定のとおりであり、成立に争いのない甲第七号証、同第八号証の一、同第二五ないし第二七号証、本件土地に設置されたマンホールの写真であることに争いのない甲第四八号証の二、三、証人黒田積の証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四、五号証の各一ないし四、同第六号証の一ないし三、本件土地付近の写真であることには争いがなく、弁論の全趣旨により平成元年五月頃撮影されたものと認められる乙第一二号証の二ないし二五、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八号証の二、同号証の三の一、二、検証の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、昭和四四年六月二一日から同年七月一〇日までの間に、本件土地の両側に側溝を設置して、同土地を道路としてより整備したこと、請求原因4中の右争いのない事実を除くその余の事実、本件路線は昭和六二年三月一四日告示の市道編制により、「新玉四七号線」と名称変更されたこと並びに次の事実が認められる。

本件路線の登載された道路台帳は、昭和五四年に作成され、爾来松山市に備付られているものであるが、これによると本件路線は、前出の三六〇番六の土地(出光興産のガソリンスタンドの敷地)に北接する幅員一四・四メートルの広路部分三〇・四メートルと同三六一番一の土地(正確には合併一の土地、四国名鉄運輸所有の営業所の敷地)に北接する幅員一・九メートルの狭路部分一八メートルからなっており、本件土地はその全部が右広路部分の敷地に含まれていること、右広路部分は、東側で南北に走行する松山市道松山駅前竹原線に接続し、右狭路部分は、その西端部分から南西方向に延びる幅員約二・四メートルの松山市道新玉一〇号線に接続しており、右広路部分の東側松山駅前竹原線上は南北道路と東西道路の十字型交差点になっていて、その東側から松山市道三番町線が東に走行していること(同所が同線の終点)、同交差点上には、本件路線方向への車両用信号機の設置はないが(他の三方向には設置)、その南端に東西に渡る横断歩道があって、歩行者用信号機が設置されており、本件路線は、一般市民の通行の用に供されていて、人車の出入通行があること、本件路線は、その敷地全体がアスファルト舗装されており、これは昭和四四年の側溝設置工事の頃になされたものと推認され、その頃からほぼ現況どおりに、道路として整備されていたものと推認されること、なお本件土地には、そのほぼ中央部に松山市の市章入りマンホールが二個設置されており、その設置の正確な時期は定かでないが、昭和五七年から五八年にかけて、本件土地の所有権の帰属が問題となった頃には既に存在し、これによっても、本件土地が原告の管理下にあって、中央部に公共下水道が埋設されている道路敷地であることが明瞭であったこと、原告が松山市道として管理する道路には、路線認定から供用開始の公示までの手続に関する書類が見付からず、これら手続のなされた時期が不明なものが多くあり、その原因としては、〈1〉戦災による書類の消失、〈2〉昭和三六年四月と同四九年一一月の庁舎の新築に伴う移転の際の書類の紛失、〈3〉町村合併の際の書類引継の不備の三点が指摘されているのであるが、本件土地も右手続時期不明の道路の一として管理されていて、前出道路維持課で昭和五四年に、適法に供用開始があった道路ということで査定方式によりこれについての道路台帳を作成したこと、右昭和四四年の側溝設置は、本件路線名を名称に掲げた工事によりなされたものであるが、これに先立ち原告は、昭和四三年三月一五日に本件土地の南隣の前出合併八の土地につき、北側の市道敷地、即ち本件土地との間の境界査定をなしていて、その際作成された道路境界査定調書(甲第六号証の一ないし三)には、右北側市道は本件路線と明示され、図示されたその形状も道路台帳記載の現状に近いものであること(原告は、昭和三九年一一月にも、右合併八の土地の西隣の右三六一番一の土地とその北側及び西側に接続する市道との間の境界査定をなしており、その際作成された右同調書では、右三六一番一の土地に北側と西側で接続し、さらに南方に延びる道路が新玉一二号線と記載され、本件土地部分が「新玉二八六号線」と表示されている。)、その後昭和五八年一月五日愛媛県から請求原因5に記載の通知があって、これは普通交付税の算定に関してなされたものであるが、これを受けて原告で調査した結果、原告が現に市道として維持管理して来た道路で、前示三点の原因で議会の議決及び認定公示の有無を原本により確認できない路線が本件路線も含めて、合計二二八〇あること(全松山市道路線数の四〇から五〇%に相当)が判明し、その旨県に報告するとともに、これにつき確認の趣旨で、改めて同年一月二五日、道路法一八条一項の規定に基づく道路区域決定の告示(甲第七号証)及び同条二項の規定に基づく供用開始の告示(同第二六号証)をなしたこと、右各告示においては、本件路線の区域は、「三六〇番六地先から三六一番一地先まで」と表示されており、これは前示道路台帳の起点及び終点の表示と同じく国道及び県道の例に倣って、起点から終点に向かって左側の土地の地番を用いて表示したものであること。

以上の事実が認められ、右に認定したところによれば、本件土地は、昭和四四年頃にはほぼ現状どおりに道路としての形態を整え、爾来松山市道として一般通行の用に供されているものと認められ、更に同年頃には本件路線として、道路法八条所定の路線の認定公示、更には同法一八条一、二項の規定に基づく道路区域決定の公示及び供用開始の公示等、一連の手続を経て、適法に供用開始されていたものと推認される。

四  乙第二号証が本件土地が道路敷地でないことを証明したものでないことは、前示認定のとおりであり、乙第三号証の一ないし一六は、証人黒田積の証言及び同証言により真正に成立したものと認めれる甲第三三ないし第四〇号証及び弁論の全趣旨によれば、署名押印ないしは記名押印は各作成名義人がなしたものと認められるけれども、その画一的にコピーされた記載内容につき現地で確認し得た筈のない者や記憶のない者が多く作成名義人になっている等、その作成経緯に不自然な点が認められる上、その記載内容自体前掲証拠に照らし信用できず、被告本人尋問結果中の右認定に反する部分も信用できない。他に右認定を覆すに足る証拠はない。

五  請求原因7の事実並びに同8中の被告が昭和六〇年八月二八日本件土地上にプレハブ造りの建物二棟を設置した事実は、当事者間に争いがなく、証人黒田積の証言により真正に成立したものと認められる甲第一八号証の一、右同年九月一日撮影の本件土地及びその地上物件の写真と認められる同号証の二、同証言、弁論の全趣旨によれば、請求原因8中のその余の事実が認められる。

被告代表者本人尋問結果中の右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

六  前掲甲第一〇号証、成立に争いのない乙第一〇号証の一、二、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分も弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同号証の三によれば、抗弁1の(一)の事実が推認され、この推認を覆すに足る証拠はない。

七  国又は公共団体が道路の敷地を構成する土地につき取得する所有権その他の権原についても、民法一七七条の適用があると解すべきものであり、これと見解を異にする原告の主張は採用できない。

八  再抗弁2について、

被告(昭和六〇年二月一日設立、資本金一〇〇〇万円)は、その真の設立目的が那辺にあるのか些か疑問を抱かせる会社であり(被告代表者は、その本人尋問結果中で、昭和五三年に設立し、許認可の関係で業務開始に至らなかった産業廃棄物の処理会社の運営を補足する目的で、「各種事業の受託代行又は請負処理業務」を目的として設立したと説明し、第二事件の請求原因では、「土木建設及び建築並びにその請負業務、不動産の売買及び仲介業務等、これらに付帯する一切の業務」を目的とすると主張していて、実に広範囲な目的を有することになる。)、被告代表者がその本人尋問の結果中で説明する本件土地購入の動機や経緯にも多々疑問が残る。本件売買は、西原清なる、全く面識のなかった人物から持ち込まれたもので、夜間現地を確認して、現地が気に入ったので、西原の人物についても、同人と当時の所有名義人との関係についても、全く調査せず購入したというのであるが、些か不自然であるし、又売買代金を一億五〇〇〇万円と約定したことにし、特約により一〇〇〇万円の支払のみで決済し、その差額については、本件土地に設定された根抵当権等の被担保債務の引受ないしは肩代わりをしたということになっているが(乙第一号証)、対債権者関係では通知すらなさず、被担保債務の実際の金額の確認もしてないというのも、奇異な感を禁じ得ない。

又成立に争いのない甲第一二ないし第一六号証、同第二一号証、同第四二、四三号証、証人黒田積の証言により真正に成立したものと認められる甲第四一号証、同証人及び同倉沢善男の各証言によると、被告より前の本件土地の所有名義人であった三会社中、愛媛産興株式会社と愛媛ビジネスセンター有限会社は、本店所在地を同じくする上、西原清なる人物が代表取締役を兼ねていたことがあって(同人は、昭和五五年五月八日松山地方裁判所で破産宣告を受けたが、その手続の進行中の同年四月、両社の代表取締役を辞任した。)、相当密接な関係にあると考えられること、又その間に入っている有限会社清和不動産も、過去に右両社と本店所在地を同じくしていたことがあること、右西原は、昭和五七年秋頃原告の道路維持課を訪れて、本件土地が同人の所有になった旨告げ、何度か足を運んで本件土地を廃道とするための手続の指導を受けて、近隣の土地所有者の同意を取り付けるべく行動し、昭和六〇年八月には原告の固定資産税課などを訪れて、本件土地の昭和五七年度から固定資産税の納付方の申出をし、受領を拒否されたに拘わらず、五六年度の賦課金額の三年分と解される金額の現金を郵送し、返送されると再送するなどして、執拗に納税の実績を作出すべく行動したこと、前掲乙第二号証も、実際には右西原が愛媛産興の名で申請手続をして、入手したものであること、久松定武は、松山藩主の末裔で、愛媛県知事などもしていた人物であるが、本件問題が表面化した時点では老齢であり、若い頃から一貫してその所有財産の管理を人任せにしていたこともあって、原告において、本件土地の所有名義が愛媛産興に移転した経緯を調査すべく、同人からの事情聴取を試みたが、功を奏さなかったこと、以上の事実が認められる。

右に認定の事実を総合すると、本件土地は、西原が松山市道敷地になっていることを承知の上で、登記簿上の所有名義が久松のままになっていることを知って、これを奇貨として、自己の経営する愛媛産興の名で買い受け、同土地を廃道にして利益を得ようと画策したが功を奏さず、関係のある会社名を利用して所有名義を転々とさせたものであろうと推認され、被告もまた、右の事情を知りながら買受人になったものと推認され得る。しかしながら、前示のとおり、原告の固定資産税課では、昭和四八年から同五六年までは、登記簿上の所有名義人の久松に固定資産税を賦課する手続をしていて、道路維持課の責任者も、西原が前示道路境界査定の申請をなした時点では、本件土地を原告が買収した事実を知らず、登記簿上の記載から単純に本件土地のいわゆる底地所有権が私人に属すると判断し、前掲乙第二号証を発行していること、前掲甲第一〇号証によると、本件土地には被告が所有名義を取得するまでの間に、相互銀行や信用金庫などを債権者として、極度額等総額一億四〇〇〇万円の根抵当権などが設定されており、これら金融機関においては、本件土地が相当の担保価値があるものと判断していたと解し得る余地があることなどの事情も認められるのであり、右に認定の事実関係のみでは、愛媛産興から被告に至るまでの全所有名義人、殊に被告が、本件土地が原告により買収されていることをも知って、不正の目的を持ってその所有権を取得したとまでは断じ難く、他にこの点での原告主張事実を認めるに足る証拠はない。よって原告の再抗弁2の主張も理由がない。

九  以上認定したところによれば、被告は、本件土地の所有権の取得をもって原告に対抗し得るが、その前者である愛媛産興は、原告により松山市道敷地として適法に供用開始された後に本件土地の所有権を取得したものであるから、その所有権は道路法四条所定の私権の行使の制限を受けたものであって、同人の権利の承継人である被告は、同法条により本件土地に対する権利行使の制限を受けるという限度で、原告から本件土地についての道路管理権を対抗される。

よって、原告の請求は、被告に対し道路管理権に基づき、本件土地がその主張にかかる松山市道の敷地であることの確認を求める部分及びその地上の通行妨害物件を撤去して同土地を明け渡すよう求める部分は理由があるので認容され、その余の部分(所有権に基づく所有権移転登記の請求)は理由がないので棄却される(本件地上物件が被告主張仮処分決定の執行により撤去済であることは、これについての原告の請求の当否に消長を来さない。)。

第二  第二事件について、

一  請求原因2の事実(第一事件の請求原因7及び抗弁1の各事実)が認められることは、前示認定のとおりであり、請求原因3、4の各事実は、当事者間に争いがない。

二  被告が本件土地についての所有権取得をもって原告に対抗し得ることは、前示認定のとおりであるが、本件土地が松山市道の敷地であって、これにつき被告が原告により、道路管理権を対抗されることも、前示認定のとおりである。

そうすると、本件土地が市道敷地であると主張してなされた申請に基づき発せられた本件仮処分の執行の結果につき、本件土地が道路敷地でないことを理由に原告の責任を追及する被告の請求は、爾余の点を判断するまでもなく、失当であって、棄却を免れない。

第三  結語

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙)

物件目録

松山市三番町八丁目三六一、三六三番合併七

雑種地 四〇六・〇〇平方メートル

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